COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2024~海外日本代表候補選手奮闘記~
菅野ブルース 『将来は自分もここに入って活躍したいなっていう気持ちもより一層強くなりました』


3月、菅野ブルースは夢見ていた場所にいた。NCAAトーナメント1回戦、会場はブルックリン・ネッツのホームコートでもあるバークレイズセンター。菅野が所属していたステットソン大は、アトランテックサン・カンファレンス(ASUN)で優勝してNCAAトーナメントの出場権を獲得し、1回戦で昨季の全米チャンピオンのコネチカット大と対戦した。NCAAディビジョンⅠ(以下D1)の選手として、NBAアリーナでNCAAトーナメントの試合を戦う機会を得たのだ。アメリカに出てきたときから目標としていた状況だ。

試合は完敗だった。それ以上に残念なことに、菅野自身はチームメイトたちが戦うのをベンチから見るしかなかった。膝の故障でシーズンの大半を欠場し、このときも試合に出られる状態ではなかったからだ。
「自分も試合に出たい気持ちはすごくあったし、(チームがNCAAトーナメントに出て)嬉しい反面、悔しい気持ちもすごくあって。怪我がなかったらっていうことを考えたら悔しい気持ちがすごく出てきました」

まるで明成高校2年のウインターカップのときのようだった。あのときも、膝を痛めて試合に出られなかった。チームメイトたちが奮闘してウインターカップを勝ち上がり、全国優勝を果たすのをベンチから応援し、見守るしかなかった。あのときも同じように嬉しいけれど悔しい、という複雑な思いをした。

明成高校を卒業し、アメリカに出てきて2年がたつ。最初の1シーズンはアイオアにある短大、エリスワース大で過ごした。通常、短大からNCAAへの編入には2年かかるものなのだが、早々に活躍が認められて、最短の1年でD1のステットソン大に編入した。7校のD1チームから声がかかった中でステットソンを選んだのは、ガードのポジションで使ってもらえる可能性が高いと判断したからだった。


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