COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本代表候補選手奮闘記
太原絵葉「私は二世だけれど、私はそれでも日本のためにプレーしているし、日本に行って日本でプレーできるということを誇りに思っています。」

太原絵葉(英語名エバ・トゥーン)にとって、人生最初の転機は夏休みに見たテレビ・コマーシャルから始まった。ニューヨークのブルックリンで生まれ育った太原は、毎年夏になると両親とともにフロリダで夏休みを過ごしていた。

「フロリダでビーチに行ったりしていたんですけれど、『どこかでバスケットボールをやりたい。新しいスキルを学びたい』と思ったんです」と太原は当時を振り返る。

 バスケットボールを始めたのは10歳のころ。元マイナーリーグの野球選手だった父譲りの体格と運動能力を備えた太原。最初は身体を動かしたいという軽い気持ちで始めたが、すぐに夢中になった。地元でAAUのチーム(クラブチーム)に入り、中学に入ってからは学校のバーシティチーム(1軍チーム)でプレーするようになった。

 夏休みを過ごしていたフロリダで、IMGアカデミーのキャンプのテレビCMを見たのは、そのころだった。

「ちょうどテレビでIMGアカデミーのキャンプの宣伝をやっていたのを見て、とりあえず1週間のキャンプに行ったんです。そしたら、そのキャンプで、ヘッドコーチのシェル・デイリーから勧誘されました」

 IMGアカデミーは、一流のスポーツ選手たちも使うほど充実したトレーニング施設をもつ全寮制の高校。日本ではテニスの錦織圭の出身校として有名だが、バスケットボールでも、何人ものNBA選手を輩出している。ヒルライアン(当時ヒル理奈)や田中力ら日本人トッププレイヤーも所属していたことがある。

 実は、太原はIMGアカデミーに入るかどうか決める前に、SNSを通してヒルに連絡したことがあるという。ヒルとは面識はなかったが、誰も知らない学校に行くことで不安があり、同じ日系人でIMGアカデミー卒業生のヒルに相談してみたのだ。

「IMGに来る前にメッセージを送ったんです。返事が来るとは思っていなかったけれど次の日に返事をくれて、IMGはすばらしいプログラムで、コーチ・シェルはすばらしい人だと教えてもらったり、色々なアドバイスをしてもらいました。おかげでIMGに行く決断をすることができました」

 太原を勧誘したデイリーHCは、NCAAやWNBAのサンアントニオ・シルバースターズでのコーチ経験もある人。将来はNCAAディビジョンⅠの学校でプレーしたいと思っていた太原には、それだけで魅力的な勧誘だった。

「コーチ・デイリーから勧誘されて、『IMGならスキルを身につけて、大学に行く準備ができる。リクルートされる可能性もあるかもしれない』と思ったんです」

 全寮制の学校なので、自分ひとりでフロリダに行くこともできたが、心強いことに、両親も太原のために共に引っ越すことを決断してくれた。

「運のいいことに、タイミング的にはとてもうまくいったんです」と太原。元マイナーリーグ野球選手の父は、ちょうどニューヨーク市警察の巡査を引退したばかり。人事の仕事をしていた母は、フロリダで新しい仕事を見つけることができた。

「ひとりっ子なので、両親とはいつもいっしょに過ごして親友のような存在。本当に大浮き。私を支えてくれる、とても大事な存在です。バスケットボールで成功したいし、最高の教育を受けたいという私のために、引っ越しまでしてくれたことには感謝しています。この4年間、両親が近くでサポートしてくれたことは、私にとって大きなことでした」


 日本代表への扉もIMGアカデミーに行ったことで開かれた。太原は母が神戸育ちの日本人で、日本の国籍を持っている。IMGアカデミーのスタッフのなかに日本バスケットボール協会と繋がりがある人がいて、協会に太原の存在が伝えられた。

「IMGがカリフォルニアのラホーヤでトーナメントに出たときに、コーチ・ホーバス(女子日本代表のトム・ホーバスHC)の息子さんが来てスカウティングしてくれて、その後、日本代表のトレーニングキャンプに招待されました」と太原は振り返る。

 実は、そのときに太原が招待されたキャンプは、オリンピックに向けてのフル代表強化合宿だった。

「フル代表のキャンプだということは、行くまで知らなかったんです。女子のキャンプと言われていて、深く考えもしなかったんですけれど、行ってみたらツイッターで見かけていたようなプロの選手たちがいて、『えー、みんないる!』とパニックになってしまいました(笑)。とても楽しい経験で、そこに入れてもらえただけで誇りに思っています」


 このキャンプに行ったことで、多くの日本人選手と出会い、友だちになることができた。その後、NCAAに進学した今野紀花(現ルイビル大)やマッカーサー マヤ(現プリンストン大)とは、同じアメリカでプレーする仲間として、今も連絡を取り合っているという。

「この前のNCAAトーナメントのときは、紀花に『活躍していたね!』とメッセージを送ったり、やり取りしていました。紀花やマヤと、そのうちNCAAの舞台で対戦することがあればいいなと思っています」

 フル代表のキャンプに参加した太原を、当時U16代表ヘッドコーチをしていた萩原美樹子コーチが見て、その後、U16代表のキャンプに勧誘された。

「WNBAでプレーしたことがあり、今はコーチとして活躍している萩原さんから学べたことは嬉しく、誇らしく思っていました」と太原。

 萩原は、185cmという太原のサイズと、明るく前向きな性格を買っていた。

「日本語がほとんど話せず、一人で文化の違うところに乗り込んできて戸惑うこともたくさんあったと思うのですが、一生懸命周りに溶け込もうと努力してくれていました」と萩原は振り返る。

 それから、1回3日間ぐらいのU16代表キャンプのために毎月日本とアメリカを行き来する生活が続いた。

「行き来するのは本当に大変だったけれど、キャンプに参加できたのは嬉しく、たとえロスター枠を競うだけであっても、日本を代表できることが楽しみでした」

 アメリカとは違う、日本のスタイルのバスケットボールも楽しんだという。

「アメリカのバスケットボールは個々の選手の能力中心のところがあるけれど、日本では正しい読みをして、ノーマークを作って、勝つために最高のシュートを打つというやりかただった。私は、競争心がすごく強いので、バスケットボールをやるのも勝つため。日本代表では、同じ姿勢でやっている人たちといっしょにできたのがよかった。アメリカではそうならないこともあったので」

 さらに、速いペースでプレーする日本代表のキャンプに参加することで、アメリカに戻った後に、コーチやチームメイトから「前より速くなった」と感心されたこともあったという。

「日本のバスケットボールのペースは過小評価されていると思います。すごく速くて、私にとっても慣れなくてはいけないことでした。ハーフコートセットをやろうとしているときに、『もっと走って』と言われたりもしました。慣れる必要があったのだけれど、でもアメリカに戻ってプレーするときに自分のゲームにもプラスになりました」


 しかしその代表活動は、去年春、コロナ禍の壁にぶつかってしまった。U16代表最終候補の15人に残っていた太原だが、去年春に世界中で新型コロナウイルス感染が拡大し、国境を越えた移動が難しくなり、U16の最終メンバーを決める最終キャンプに参加できなくなってしまったのだ。その後、結局、アジア大会自体も中止となってしまった。

「日本代表の最後のキャンプに行けなかったのはとても残念でした。みんなと仲良くなったので、最後のロスター枠を競うだけであっても、参加できたら楽しかったと思っていたけれど、新型コロナウイルスですべてがだめになってしまいました」

 コロナ禍はIMGアカデミーの最後のシーズンにも大きな影響を与えた。学校で独自のバブル(隔離空間)を作ることで、夏からトレーニングはできていたが、高校最後のシーズン(20-21シーズン)の試合はほとんど中止になった。

「試合が中止になってしまいました。とても悲しいことでした。やろうとしたこと全部が中止になるのはとても残念なことだったけれど、みんな同じような経験をしているので、文句は言えません。家族が安全に暮らしているというだけで運がいいと思っています」

 ひとつだけ、コロナ禍でよかったことは、去年夏、WNBAがバブルを作って行うシーズンの開催地としてIMGアカデミーのキャンパスを選んだこと。試合を見ることはできなかったが、キャンパスの中でスー・バードやキャンデス・パーカーら、WNBAのスター選手を見かけたことは、それだけでも刺激になった。

 今年秋から、太原はロサンゼルスのロヨラメリーモント大(LMU)に進学する。前から目標としてきたNCAAディビジョンの大学だ。所属カンファレンスは、八村塁の出身校、ゴンザガ大と同じウェスト・コースト・カンファレンス。コロナ禍が始まる前、2019年秋に奨学金のオファーを受け、進学を決めた。

「LMUには自分が求めているものがすべてありました。ディビジョン1の大学で、レベルの高いウェスト・コースト・カンファレンスのチーム。うちの両親は勉強もとても大事にしているのですけれど、学業面でもすばらしく、バスケットボール面でも伝統あるチーム。すべてが気に入りました。ファミリーのようなよくまとまったチームで、そこに加われることは嬉しい。とても競争心が強いので、とにかく勝ちたいんです。楽しみにしています」

 大学生活に加え、日本人のコミュニティがあるロサンゼルスでの生活も楽しみだという。

「私は二世だけれど、私はそれでも日本のためにプレーしているし、日本に行って日本でプレーできるということを誇りに思っています。日本のコミュニティでプレーできるということ、すべてが完璧。フロリダやニューヨークより日本にも近いし。日本にいる親戚も、試合を見に来てもらえるかもしれないし。もし、この記事を読んだ人がLMUの試合を見に来てくれたら嬉しいです」