COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本代表候補選手奮闘記
山ノ内勇登「I’m ready to shock the world(世界を驚かせる準備ができた)」

 “I’m ready to shock the world”(世界を驚かせる準備ができた)

 今年7月、山ノ内勇登(ユウト・ウィリアムズ)は、ツイッターでそうつぶやいた。物静かで、どちらかというとシャイな彼が、内に秘める思いを表現し始めた。

 別の日のツイートでは、こんな格言を投稿している。

"Practice while they party,
Grind when they sleep,
Live like they dream"
(彼らがパーティーしているときに練習し
 彼らが眠っているときに努力し
 彼らが夢みるように生きる)


 山ノ内はロサンゼルスに住む17歳。去年、U16日本代表合宿や育成合宿などに参加したことで、日本でも名前が知られるようになった。

 2003年、福島でアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。小学校5年までを福島で過ごした後ハワイ、そして高校ソフォモア(日本の高校1年)になる前にロサンゼルスに移り住んだ。

 バスケットボールに本気で打ち込むようになったのは、今から4年前、8年生(日本の中学2年)のときだった。その前はビデオゲームに夢中な少年で、バスケットボールもやっていたが、そこまで真剣ではなかったという。それが、8年生のときに身長が2メートルに伸びたことでスイッチが入った。

 父は188cm、母は168cm。どちらも低くはないが、特別高いというほどでもない。山ノ内も8年生になった頃に父とほぼ同じ背丈になり「もう伸びるのは終わりかな」と思ったという。それが、約1年で12cm伸びた。

 伸びたのには理由がある、と彼は言う。
「背が伸び始めた頃に足を骨折して、寝るぐらいしかやることがなかったんです。それで背が伸びたのだと思っています」
 まさに、「寝る子は育つ」である。

 ロサンゼルスではリベットアカデミーに転入。ちょうど同校がバスケットボールに力を入れ始めた頃で、山ノ内もチームと共に成長してきた。
「ロサンゼルスの高校バスケは、強い学校がたくさんあって、競争がとても激しい」と語る。昨シーズンは、ドウェイン・ウェイドやレブロン・ジェームズの息子がいることで注目された強豪校、シエレキャニオンとも対戦している。


 去年は春から夏にかけて、7回日本に戻り、第1次育成合宿、U16代表合宿など、日本の同年代や年上のトッププレイヤーたちの間で競った。
「今から振り返ると、もっといいプレーができたのに、と思います。U16のキャンプではけっこういいプレーができたと思うけれど、育成合宿は大人のキャンプのようなもので、その中で僕の身体は弱いのを感じました。ほかの選手は僕より10倍ぐらい力強くて、対等にプレーすることができませんでした」

 その時点での山ノ内は、身長202cm、体重87kg。あれから1年半近くたった今は、208cm、107kg。背丈も体つきも、ひとまわり大きくなった。

 困難を乗り越えたことも自信になる、実際、山ノ内にとって、昨シーズンは思うようにいかないことばかりだった。チームのスターティング・センターとしてシーズンを始めたものの、脳震盪を起こして離脱。復帰直後に、練習で再び脳震盪を起こして、欠場期間はさらに長引いた。
「最初の脳震盪はかなりひどかったのだけれど、復帰を急いでしまい、練習で頭をちょっと叩かれただけで、また脳震盪になってしまったんです」と振り返る。

 完治してからも接触プレーが怖くなり、思うようにプレーできなかったという。ようやく戦列に戻れたのは3月、プレイオフの途中からだった。

 チームは順調に勝ち続け、あと1試合勝てば、カリフォルニア州のディビジョンⅠチャンピオンというところまで勝ち上がった。ところが、州チャンピオンを決める決戦の前日に、新型コロナ感染拡大の影響で試合が中止になってしまった。NBAがシーズンを中断した翌日、3月12日のことだ。
「すごく残念でした。あと1試合でシーズンを最後までやることができたのに」と悔しがる。


 その後も、コロナ禍で夏の予定が次々と中止になった。U16日本代表候補最終メンバーに選ばれたが、3月に日本代表強化活動が中断され、4月に開催予定だったU16アジア選手権も中止。さらに、アジア選手権の結果によっては出場の可能性があった8月のU17ワールドカップも延期になった。アメリカでも、AAU(クラブチーム)の大会が中止になり、体育館も閉鎖され、一時は屋外で個人練習することしかできなかった。

 それでも、挫けることなく毎日、早朝5時から父と共にワークアウトに励んだ。スキルワークに加えてウェイトにも力を入れた。その結果、体重が約10kg以上増え、力強いプレーができるようになった。

 冒頭の宣言は、そんな中で発したものだ。
「去年の自分はやせっぽちで弱かったけれど、今は10倍強くなったように感じます。前よりずっと楽に得点できるようになったし、それは今シーズンの自分にとってプラスになるはず」と胸を張る。
 得意なプレーはスピンムーブからのシュート。チームではセンターを務めるが、インサイドだけでなく、外から3Pシュートを打ち、ドライブインもする。


 高校最後のシーズンでは背番号を23から3に変えるという。
「今の僕はこれまでとはまったく違う、新しい選手だと思っています。そのことを表すために、番号も変えたかったんです」

 23をつけていたのは、憧れの選手、アンソニー・デイビス(現ロサンゼルス・レイカーズ)がニューオリンズ・ペリカンズ時代につけていた番号だったから。父がニューオリンズ出身なので、好きなチームもペリカンズ。デイビスのこともペリカンズ時代から好きだった。

 新しい番号として3番を選んだ理由を聞くと、ラッキーナンバーなのだという。インターネットで誕生日を入れてラッキーナンバーを調べたところ、3と5と出てきたので、3のほうを選んだのだと説明する。3はデイビスが昨シーズン、レイカーズに移籍した後につけていた番号でもある。

 例年なら高校のシーズンが11月から始まっていたところだが、今季はコロナ禍に対応した変則的なスケジュールが組まれており、現時点ではシーズン開始は3月からの予定だ。チーム練習もままならないため、10月に約3週間、ウイルス検査を受けたチームメイト10人と共にコーチの家に寝泊まりし、昼間はオンラインで授業を受けながら、朝と夜に隔離されたミニバブルの状態でトレーニングや練習を行った。久しぶりにチームで練習ができることが嬉しかった。それまで当たり前だったことも、コロナ禍では当たり前ではない。

 異例な環境で高校最後の1年が始まったが、目標は常に高く持ち続けている。
「今シーズンの目標は、今度こそ州大会で優勝してチャンピオンになること。それから、シーズン中か、シーズン後にドリームスクールにコミットすること」
 ドリームスクールは3校あり、そのうちの1つは八村塁が活躍したゴンザガ大。八村を見て、育成上手な学校であることが印象的だった。

 さらにもうひとつ、究極の夢がある。NBAだ。憧れのアンソニー・デイビスや八村塁がいる世界。そこに少しでも近づこうと、きょうも、まだ暗い朝5時から練習をする。


【山ノ内 勇登】
Instagram    :@y.willl
Twitter   : @WilliamsYuuto