COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本代表候補選手奮闘記
榎本新作『4年前に一度は諦めかけたバスケットボールの道』

 4年前、榎本新作(英語名:アイザイア・マーフィー)は、バスケットボールをやめることを考えたという。

 米空軍に所属していた父と日本人の母のもとに沖縄で生まれ、アラスカ、青森県三沢、アリゾナ州ツーソンと転々とした。バスケットボールに本気で取り組み始めたのは8歳から15歳まで過ごした三沢時代。高校ソフォモア(日本の高校1年)のときにツーソンに引っ越し、地元シニエガ高校に編入すると、トライアウトを受けた。最初の1年はJVチーム(2軍)だったが、その後は卒業するまでバーシティー(1軍)チームのレギュラーメンバーとして活躍した。

 しかし、大学からは勧誘の声がかからなかった。
「高校時代、大学からの勧誘はほとんどなかった。父にも『大学からのオファーもないし、何をしたらいいかわからない』と話していたぐらいだ。それで、高校を卒業した後の選択肢として最初に考えたのは軍隊に入ることだったんです。父も20年間空軍に所属していたので、父と同じようにと思って。でもある日、父から『空軍はいつでも入れる。まずは大学でバスケットボールをプレーしてみたほうがいいんじゃないか』と言われ、それもそうだと思いなおした」

 父に背中を押され、地元のピマ・コミュニティ・カレッジ(ピマ短大)に行くことにした。バスケットボール・チームにも入ることができた。

 ピマ短大のヘッドコーチ、ブライアン・ピーボディは、つい最近、アリゾナ・デイリー・スター紙の取材に答え、「アイザイアは努力家で、目に見えてどんどん成長していった」と語っている。それでも、プロ選手になるとは想像もしていなかったとも明かす。

 それから4年後の今、榎本は、複数のBリーグ・チームから勧誘され、日本でプロの選手としての道を歩むことになったのだから、人生はわからないものだ。

(中央:榎本新作、右:シェーファー アヴィ 幸樹)

 榎本にとって、成長のきっかけとなったのは、大学1年が終わった夏にU19日本代表のメンバー入りし、U19ワールドカップに出場したことだった。

 もっとも、日本の協会のレーダーにも入っていなかったため、まずは知ってもらう必要があった。高校時代のハイライト動画を母の友人経由で協会に送り、売り込んでみた。当時、アンダー世代のヘッドコーチをしていたトーステン・ロイブルは、動画を見てすぐに興味を持ち、U19代表の合宿に呼んだ。合宿でのプレーが認められた榎本は、代表メンバー入り。エジプトのカイロで行われたU19ワールドカップに出場し、八村塁らと共に世界を相手に戦った。

 当時、ロイブルは榎本のことを「ダイヤの原石のような選手」と評していた。身長194cm。ガードとしてはサイズもあり、運動能力が高く、日本代表に足りないペネトレイト能力も魅力的だった。まだ粗削りなところもあったが「ペネトレイトのスキルだけでも、この先アンストッパブルなところまで持っていけば、プロレベルに行くことができる」と断言していた。

 このとき、アンダー世代とはいえ、世界を相手に戦った経験は大きかったと、榎本は語る。
「代表チームに選ばれたとわかったときは、とても嬉しかった。ひとつ覚えているのは、色々な国のチームと戦ったこと。それが一番大きかった。そういう経験が何よりもエキサイティングだった」

(左:榎本新作、中央:八村塁)

 大会中、榎本が特に活躍したのは、グループラウンドが終わり、トーナメント戦の初戦で対戦したイタリア戦だった。この大会で準優勝した強豪相手に、日本は55-57と惜しくも2点差で敗れたのだが、榎本は12得点、8リバウンドと、八村に次ぐ活躍で接戦に貢献した。

「イタリア戦のことはよく覚えている。すごくエネルギーがあるように感じていたんだ。とてもハードにプレーして、いいプレーができた」

 日本代表から見た榎本はバスケットボールの本場、アメリカから戻ってきた期待の星だったが、実際の彼はこの時点ではまだ、日本の米軍基地とアリゾナしか知らなかった。それだけに、エジプトに行って、世界中のチームと対戦できたことは自信になった。

 ピマ短大のビーボディ ヘッドコーチも、U19日本代表としてプレーした榎本が「行ったときは少年だったが、大人になって戻ってきた」と、見違えるように成長していたと語っている。榎本の活躍もあって、このシーズンのピマ短大は、NJCAA(全米短大アスレティックス協会)のディビジョンⅡ全米大会で準優勝を果たしている。

 短大卒業後はNCAA(全米大学体育協会)ディビジョンⅡのイースタン・ニューメキシコ大に進学。2シーズン合計で53試合出場(うち45試合はスターター出場)し、平均8.1点、2.9リバウンド、1.5アシストを記録した。
「イースタン・ニューメキシコは大学以外にほとんど何もないところで、まわりに楽しめるようなことはなかった。でもいい人たちが多くて、過ごしやすい土地だった。チームメイトたちみんないい人たちで、いい2年間を過ごした」と振り返る。

(左:榎本新作、右:シェーファー アヴィ 幸樹)

 榎本は、最近になってU19のときの試合映像を見返してみたという。
「当時の試合映像を見てみたら、散発的なプレーをしていた。あのときと比べたら、今はもっと賢くプレーできるようになったと思う。スキルも磨いてきたし、いい判断ができるようになった」

 日本に行き、B.LEAGUE で活躍することで、東京2020オリンピックの日本代表メンバーへの道が開ける可能性もあると夢見る。
「東京2020オリンピックでプレーすることはとても名誉なことだ。U19のチームでプレーしたことで、国を代表してプレーすることがどういうことなのかを経験することができた。もしオリンピックでプレーできるとしたら、それはありがたいことだし、名誉なこと。延期になったことは僕にとってはいいことだったかもしれない」

 B.LEAGUE での目標はと聞くと「長いキャリアを送ること」と堅実的な答えが返ってきた。そのためにも、いいルーキーシーズンを送り、足元を固めて先に進みたいと言う。

 何しろ、4年前に一度は諦めかけたバスケットボールの道だ。父に励まされ、日本代表を経験し、そのたびに努力して成長してきたことで、今もバスケットボールを続けることができている。
「4年前のことを考えると、まったくクレイジーだよね(笑)。プロになるということについては、まだ実感がわかないんだ。でも、今はとにかく、すべてが始まるのが待ちきれない」