COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本代表候補選手奮闘記
日本女子バスケのホープ林真帆。世界との差を感じたシカゴでの日々。

より上のレベルのバスケットボールを知ることで、さらに好きになる……林真帆の挑戦は始まったばかりだ。


 今年2月、林真帆(現東京医療保健大)はシカゴで開催されたバスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ(以下BWB)グローバルキャンプに参加した。NBAオールスター・ウィークエンドの一環として開催されたもので、女子選手は世界から24人が参加。日本から唯一参加した林は、初めて訪れたアメリカで、世界の選手に交じってプレーした。

 高いレベルでやったことで思うようにいかずに悩み、自分の力不足を感じた面もあった。

「身体の当たりだったり、そういうところから全然、アジアと比べて違った。こういうなかでもしっかり自分が出せるような技術を、もっとつけていきたいなと思います」と林は語る。

 シュートを得意とする林だが、欲しいタイミングでパスをもらえず、待っているだけで何もできない場面が多かった。ボールがこないことには、自分の持ち味も出せない。言葉の壁もあって、チームメイトに自分の思いを伝えることも難しかった。

 それでも、「(言葉は)通じないんですけれど、表情だったり、手ぶりとかでコミュニケーションをちょっとは取れたかなって。そこが楽しかったです」と振り返った。

■林の成長を見守る代表アシスタントコーチ。

 林が4月から進学した東京医療保健大のヘッドコーチで、日本代表のアシスタントコーチでもある恩塚亨は、そんな林を3日間、コートサイドから見守っていた。

 最初のうちは言葉が通じず、パスが来ないことに戸惑っている様子だった林が、途中からは気持ちを切り替え、自分ができることに集中できるようになったと喜び、成長したと評価した。

「パスが来ないとか、ルールがちょっと違うとか、言葉のこととか。自分にコントロールできないことがかなり多かったと思うんですけれど、そこに引っ張られるんじゃなくて、そのなかで自分ができることが何かっていうのを見つけてプレーできたときはうまくいっていたんじゃないかなと思う。

 自分がコントロールできることを探してその中でやっていく部分と、適応していくっていう部分と、両方を大事にしていってほしいなっていうふうに思っています」

■最初は積極的ではなかったが……。

 18歳にして世界の同年代と対峙した林だが、ここまでのキャリアは、母に背中を押されながら、一段ずつ階段を上るように歩んできた。着実でありながら、節目節目では新しい世界に飛び込む逞しさもあった。

 バスケットボールを始めたのは小学校3年の秋。バスケットボールをしていた母の勧めでミニバスのクラブチームに入ったのが最初だった。


 当の本人は、実は最初はあまり気が進まなかったという。ところが、行き始めたら、すぐにその魅力にはまった。その頃からシュートが好きで、熱心に練習し、どんどん自信をつけていった。Wリーグの試合をよく見に行き、なかでもトヨタ自動車アンテロープスのシューター、栗原三佳のプレーをよく見て、参考にしていたという。

 中学は地元、神奈川の中川中学に進学。バスケ部は特に強かったわけではなく、全国大会どころか、県大会にも出られなかった。そのため、強豪高校から勧誘されることはなかった。それでも、強い学校でプレーして、もっとうまくなりたいという向上心があった。高校のほうから勧誘がないからと諦めるのではなく、自分から電話をかけて頼み込んだというから、意外と積極的だ。

「自信はなかったんですけれど、中学のときは負けてばっかりだったんで、勝ちたいとか、もっとうまくなりたいっていう気持ちがありました」

 岐阜女子高校を選んだのは母の勧めだったという。

「母から『ここどう?』って勧められて。最初は行く気がなかったんですけれど、練習に行ったら、すごく雰囲気もよくて。すぐに、ここでバスケットやりたいなって思って、決めました」

■強豪高校へ進学し、2年からレギュラーに。

 岐阜女子高校はインターハイやウインターカップで毎年のように優勝争いに絡む強豪校。そのなかで自分の力が通用するかどうかということはまったく考えず、ただただ直感で決めたのだという。

 入ってみると、まわりの選手のレベルも練習量も、中学までとは全然違った。大変だったが、と同時に、そういう環境でやれることが楽しかったという。

 メンバーは40人前後と多く、ベンチにすら入れない選手が大半だったため、試合ごとにベンチ入りのメンバーが読み上げられた。林は1年のウインターカップで初めてベンチ入り。2年になるとすぐに試合に出るようになった。持ち味のシュートだけは、誰にも負けないという自信はあったという。

■国際試合で感じた「身体の強さ」。

 3年になって、強豪校のキャプテンを務めるようになった林は、去年8月にアジアを体験した。まず、東京で行われたBWBアジアキャンプに参加。アジア・オセアニアから集まった17歳以下のトッププレイヤーたちの中でプレーした。キャンプの最後に行われたオールスターゲームに選ばれ、MVPを受賞する活躍で注目された。さらにその後、U18日本代表として中国で行われた日・韓・中ジュニア交流競技会にも出場し、アジアを相手に戦った。

「日本の選手と比べて身体の強さも違って、でも自分のシュートだったり、ディフェンスとかはしっかりできた。楽しくて、いい経験になりました」と手ごたえを感じたという。

 そして、今年2月には冒頭で書いたようにシカゴで開催されたBWBキャンプで世界を体験。

「中学の自分には想像できないようなところまで来れているのをすごく実感しています」

■チームメイトがルイビル大へ進学で……。

 シカゴのBWBキャンプで、印象に残った選手がいた。カナダから来ていたメリッサ・ラッセルだ。

「自分で(ディフェンスを)崩して攻められるし、シュートもすごいうまいし、ハンドリングもうまかった。これからも、そういう選手を見て、自分のものにできるようにしていきたいです」と林。


 実は、ラッセルは秋からルイビル大に進学することが決まっている。今野紀花(聖和学園卒・現ルイビル大)と同じ大学だ。そのこともあって、ラッセルのほうから林に、進学先に日本人の選手がいると話しかけられたという。ちょっとした繋がりで距離は縮まり、世界が広がる。

 そういった出来事ひとつひとつが刺激にもなった。林にとっても、BWBグローバルキャンプは将来を考えるうえで転機となったという。

「今までは、目標として日本代表になりたいというところで終わっていたんですけれど、BWBを経験して、楽しそうだなと思って、将来海外でプレーしたいという気持ちがだんだん出てきました。それで、日本にもっと女子バスケットボールの魅力とか良さを伝えていきたいなって、そういうことを思うようになりました」

 そんな林の内面の変化を嬉しそうに見守っているのが、恩塚コーチだ。実は恩塚は、林の将来について思い描いている道筋があった。

「僕の勝手なビジョンですけれど、まずはパリのオリンピックに行って、パリのオリンピックで活躍して、WNBAかヨーロッパのチームからオファーをもらって、海外に行ってほしい」と恩塚。そのためにも、大学に入る前にBWBキャンプで世界を経験できたことは大きな意味を持つはずだと期待している。

「あの時があったからこそっていう経験にしてほしいなって思います」

■「プロだったり、日本代表として頑張りたいなって」

 林にとって、世界を知っている恩塚コーチのもとで学べる東京医療保健大は、近い将来に世界に挑むための準備をする場でもある。

 高校卒業にあたってWリーグのチームからも勧誘されたが、それでも大学に行くことにしたのは、まだ学び、成長しなくてはいけないことがあると自覚してのことだった。

「自分はシュートだけで、シュート以外の強みっていうのがあまり……というか、全然なかったので、もっと、そういう技術などいろんなことを学んでから、プロだったり、日本代表として頑張りたいなっていう思いがすごくあった。それで、この大学を選びました。もっとうまくなりたいっていうのがまずあって。そのためにと考えたときに、恩塚さんのところで学ぶのが一番いいかなって。すごく丁寧に教えてくださって、ここに行きたいなって」


 世界を見て、夢は大きくなったが、そのための足元はしっかりと堅実だ。オリンピックにしても、目指すのは来年夏に延期になった東京五輪ではなく、4年後のパリ五輪。

「さすがにまだ、今の自分のレベルはそこまでいっていないなって思うので。でも、もっとうまくなって、日本代表に入りたいなって思います。オリンピックは中学のころからの目標。最近はその先のことも挑戦してみたいなっていう気持ちが出てきました」