~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本代表候補選手奮闘記
バスケ日本代表、そして東京五輪へ。ビッグマン渡辺飛勇が描く夢物語。
バスケ日本代表、そして東京五輪へ。ビッグマン渡辺飛勇が描く夢物語。
NCAA1年目のシーズンは試練の連続だったという渡辺飛勇。6月からは日本代表の合宿に参加する予定だ。
渡辺飛勇(ポートランド大)にとって、NCAA選手1年目のシーズンが終わった。それは前年にレッドシャツ選手(練習生)としてベンチから見ていたときに思っていた以上に、試練の日々だった。
何よりも辛かったのは試合に勝てなかったこと。ポートランド大は、八村塁がいたゴンザガ大と同じウェスト・コースト・カンファレンスに所属しているのだが、カンファレンス内全勝のダントツ1位でレギュラーシーズンを終えたゴンザガ大とは対照的に、ポートランド大は勝ち星に縁がなかった。
1月にWCCシーズンが始まり、2連敗が3連敗になり、9連敗が10連敗になり、結局、レギュラーシーズン16試合で1度も勝つことができなかった。カンファレンスのシーズンが始まる直前、12月の最後の試合にも負け、3月のカンファレンス・トーナメントも初戦敗退しているので、すべて合わせると18連敗だ。
■自信を持てたゴンザカ大との一戦。
「毎日練習に来るのがとてもきつかった。毎試合のように大差をつけられてしまい、メンタル面で負担が大きかった。シーズン半ばには、『とにかく1勝して、そこから調子をあげていこう』と思っていたけれど、それでも勝てなくて、シーズン終盤には『1勝あげなくてはいけない』と切羽詰まった感じになった。
それでもみんな最後まで諦めることはなく、勝ちたいという気持ちを持って戦っていた。そのことは間違いない。でも、16試合負け続けるのはきつかった」
思い出すだけでも当時の重圧が戻ってくるようで、口調も重くなる。
渡辺個人にとっても、山あり谷ありのシーズンだった。開幕直後は、初めて戦うNCAAの舞台で、自分のプレーに自信を持てなかった。そのため、最初は得意なリバウンドにだけ集中しようとしていた。得点は自分の役割ではないとすら思っていたのだという。
そのなかで、自分のオフェンスに自信を持つようになったきっかけとなった試合がいくつかあった。そのうちの1試合が1月19日、八村がいるゴンザガと対戦したときだ。
■渡辺に火をつけた2度目のDNP。
実はゴンザガと対戦する2日前の試合で、渡辺はシーズン2度目のDNP(不出場)を経験していた。最初のDNPは故障が理由だったが、このときはベンチ入りし、試合に出られる状態だったのに使ってもらえなかった。自信を失い、ヘッドコーチのテリー・ポーターと話し合いもした。
「コーチから厳しいことを言われ、それを聞いて僕も少し熱く、感情的になってしまった」と渡辺は振り返る。
「あの時は、とにかく多くの逆風が吹いていた。色々あって、前の夜はあまりよく眠れなかったぐらいだ」
もっとも、結果的にはそれが渡辺のモチベーションに火をつけることになった。
「逆境の壁が高くなればなるだけ、アンコンフォタブルで苦しくなる。とにかくコンフォタブルな状態を取り戻したかったから、いつも以上に全力でプレーした」
■ダブルチームで守られるという証。
単にがむしゃらにプレーしただけではなかった。まず試合の序盤にベンチからゴンザガのビッグマンをじっくり見て、どんなプレーをしているのかを研究した。
「彼らがうちのビッグマン相手に何度もダックイン(ゴール近くで力強くポストアップのポジション取り)をしているのを見て、それが彼らにとって一番重要なことなのだと感じた。それで、試合に出たときに僕も、(ゴンザガ大ビッグマンの)ブランドン・クラーク相手に同じことをやってみて、得点を取った。その後、ポストムーブからも続けてシュートを決めた。その結果、ダブルチームもされたんだけれどね」と、表情にも笑顔が戻った。
ダブルチームで守られるというのは、それだけオフェンスに対して警戒されていることの証だ。シーズン序盤に、得点を取るのは自分の役割ではないと思っていたときには想像もできなかったことだった。全米ランキング5位(当時)のゴンザガ相手、将来のNBA選手たちを相手に自分のプレーが通用したことは大きな自信になった。
■刺激となった八村との対戦。
八村との対戦も刺激的だった。
「ルイはすごかった」と渡辺は振り返る。
「とても力強く、フィジカルだった。プルアップ・ジャンパーがとても巧く、運動能力も高い。上からダンクを決められた。瞬発力があり、高いジャンプ力を持っている。守るのが難しい選手だった。見た目も少し強く見えるけれど、実際に身体をぶつけてみて、本当に力強かった。ポストで押し込めるかと思っていたけれど、できなかった」
結局、66対89で負けたが、それでも粘りは見せることができた。
実を言うと、渡辺と八村の接点はまだそれほど多くない。大学でもコート上で対戦したのも1試合だけ。試合後に日本語で「こんにちは~」と挨拶しあい、SNS上でメッセージを交わしたこともあったが、それ以上の付き合いは今のところない。
「だから、塁のことはほとんど知らないんだ」と渡辺。そう言ってから、ふと思い出したように、満面笑顔で付け加えた。
■共通点は「テラスハウス」。
「僕らの共通点はもうひとつ、『テラスハウス』が好きということかな」
八村は以前から、日本のリアリティ番組『テラスハウス』の大ファンだと公言しているが、実は渡辺も負けず劣らず、番組の大ファンなのだという。ハワイ育ちの渡辺が番組を知ったのは、ポートランド大の日本人マネージャーが見ていたことがきっかけだった。
「最初はつまらなそうだと思って見なかったのだけれど、ある日、日本の番組を見る気分になったときがあった。アニメではない番組を見たかった。ネットフリックスで探したら、最初に出てきたのが『テラスハウス』だった。アロハ・ステイトのシリーズを見始めたら、すっかりはまってしまった。ハワイで撮影されていて、出てくる場所はどこも知っていたし、見ているうちに出演者に親近感を感じるようになった。今では完全にあの番組のファンです。これ、記事に書いてくださいね」と、楽しそうに語った。
■ディアバテとは兄弟のような間柄。
「ヒューは僕のブラザーだよ」
チームメイトのタヒロウ・ディアバテがそう言って、渡辺の肩を組む。マリ共和国出身で、高校時代を日本の帝京長岡高校で過ごしたディアバテと渡辺は、2年前に大学に入ってすぐ意気投合し、すっかり兄弟のような間柄だ。
競争好き、負けず嫌いの2人は、オフシーズンに入ってからも毎朝のようにシュート競争などをして競い合っているという。お互い手加減することなく、限界まで挑み合う。相手のファウルに怒り、それでも、次の朝もまたコートで身体をぶつける。
「僕らは色々と正反対なんだ。彼はものすごく綺麗好きな大人で、僕は散らかしっぱなしの子供。よく正反対のほうが仲良くなると言うけれど、そういう感じだ。
コート上では僕は技巧とパワーを使ってプレーし、彼はスピードとパワーの選手だ。それが衝突するのが楽しい。コート上では僕らはお互いだけが一番やりがいがある相手なんだ。同じ体重で、チームの中では一番重いからね。
ウェイトルームでもパートナーだ。今は彼のほうが力強くて、僕はいつでも追いつこうとしている。そうすることで僕も成長できるし、僕が追いついてきたとみると、彼もさらに頑張って追いつかれないようにしている。すごくクールな関係なんだ。僕は、間違いなくそのおかげで選手として成長できている」
■日本代表で“価値”を証明したい。
この夏、渡辺が楽しみにしているのが、日本代表の活動だ。去年は大学の都合で限られた日数しか参加できなかったが、今年は選ばれる限り、夏の間中、代表活動に参加する予定だ。
まずはジョーンズカップでアピールしてFIBAワールドカップの合宿にも参加し、最終的にはワールドカップ代表メンバーの座を取りたいと張り切る。日本代表のヘッドコーチ、フリオ・ラマスも、以前から渡辺のサイズと運動能力に期待をかけているが、それでもA代表入りが簡単なことではないことは、渡辺自身よくわかっているという。
「竹内兄弟(公輔、譲次)やニック・ファジーカス、ルイ(八村)、アヴィ(シェーファー)など、(ビッグマンの)競争相手が大勢いるから、すごく難しいことだ。僕はまだ選手としても確立していないし、日本語も流暢に話せない。自分のプレーもほとんど見てもらえていないし、向こうからしたら突然現れたビッグ・ミステリーのような存在だと思う。僕がチームにいる価値がある選手だということを証明しなくてはいけない。ルイやファジーカスのようにロスターが約束されている存在ではないから、自分で勝ち取らなくてはいけない」
■家族は特別な存在。
そのためにも、今もポストからの攻撃やジャンプシュートの練習に励んでいる。
「『ヒューは大きくて、リバウンドは取れるけれど、オフェンスでは何もできない』と言われないようにしないと。特に母にそう言われないようにしないと」と笑う。
ハワイにいる母からは、少ないときでも3日に1回の頻度でテキストメッセージが届き、『代表チームに入るにはコンディショニングが悪すぎる』などと指摘されるのだという。
「そうやって母から弱点を指摘してもらえることはありがたいことだと思う。自分では弱点だと思わないことも弱点だと指摘されることもある。
でも、コーチやチームメイトから言われるのとはまた違う。何より母から言われると無視するわけにはいかないからね。真剣に受け止めなくてはいけない。だから、母が何も言うことがないぐらいのところまで上達したいんだ(笑)」
いつも支え、応援してくれる家族は、渡辺にとって特別な存在だ。
「僕にとって家族はとても大事なんだ。弟や母、父に何か必要なものがあったら、いつでも喜んで差し出すぐらいね」と渡辺。
1歳半年下の弟、コールはハワイ大でバレーボール選手で(今年はレッドシャツ)、バレーボールのU23日本代表合宿にも呼ばれているという。タイミングによっては、兄弟が味の素ナショナルトレーニング・センターですれ違うこともあるかもしれない。
「僕と弟が同じ時期に日本に行って、2つの違うスポーツをするというのは、すごくクールなことだ。僕らが日本を代表してプレーすることで、家族や日本にいる親戚に誇りに思ってもらえたら、それはすばらしいことだ」
■兄弟で東京オリンピック。
もしも、それが来年の東京オリンピックの舞台でも実現したら?
「そうなったら、本当にクールだ。アメリカのバレーボールではショウジ兄弟(ハワイ出身)が兄弟でリオのオリンピックに出ていた。あのとき彼らの父、デイブ・ショウジが息子たちのことを話していたように、家族に僕のことを語ってほしい。誇りを感じてほしい。両親には多くを与えてもらったから、お返しをしたいんだ。それができたら最高だ。弟といっしょだったら、さらにクールだ。
でもそれを実現させるためには、僕も弟も、もっと頑張らなくてはいけない。まだやらなくてはいけないことがたくさんある」
今はまだ夢物語かもしれない。しかし、この夏、渡辺はその夢の入口からの一歩目を踏み出そうとしている。