~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本代表候補選手奮闘記
マヤ・マッカーサー「1年後の自分を想像して・・・」
マヤ・マッカーサー「1年後の自分を想像して・・・」
父親譲りの笑顔が印象的な高校生選手──それが、第一印象だった。現在、カリフォルニアのダナヒルズ高校シニア(日本の高校3年)のマヤ・マッカーサーは、日米両国籍を持ち、2017年夏からは日本代表の一員としてアンダー世代の国際大会に出場している17才。
父は、かつて日本鋼管、大和証券、ボッシュ、アイシンでプレーしていたエリック・マッカーサー。エリックも日本国籍を取り、日本代表としてアジア大会に出場したことがある。リバウンド力があり、笑顔に求心力がある選手だった。引退後はカリフォルニアに戻り、会社員として働いている。
マヤも、試合中にうまくいっているときも、そうでないときでも、笑顔でまわりを明るくする。ダナヒルズ高校のアン・ホネーヘッドコーチは、彼女には笑顔を見せ、ポジティブなエナジーでチームメイトを引っ張る力があると称賛する。
マヤは3人兄弟の末っ子。父が現役だったときに生まれているが、小さいときは、体育館は兄や姉と走り回る運動場のような場所で、父のプレー姿はまったく覚えていないという。
「(父の試合の映像は)ガレージの中のVHSテープにたくさんあって、見たいけれど、(VHSのプレーヤーがなくて)見られない」と言う。最近、母がインターネットで当時の試合を1試合だけみつけてきたので、家族で観戦したという。そこで発見したのは、「走り方が自分と似ている」ということだったという。
兄と姉も一時はバスケットボールをやっていたが、その後他競技に転向し、最後までバスケットボールをやっているのがマヤだ。
「子供のころから彼女が兄弟の中で一番シュートがうまかった。そこは僕に似ないでくれてよかった」と、父エリックは苦笑する。バスケットボールを教えたことはほとんどなかったというが、自分が得意としたリバウンドだけは別だった。流行りの片手でのリバウンドではなく、ボールをしっかりキープできて、着地のときに怪我をしにくい両手で取ることを教えこんだ。ふだんは優しい父も、それだけは厳しく教えこんだという。
「リバウンドを教えてもらった覚えはけっこうある」とマヤ。「けっこう怒られた。試合中、片手で取りたいし、そのほうが遠くても取れるんだけれど、両手で取らないと強くできないからってよく言われていた。今も、たまに言われる(笑)」
■ 転機が訪れた2017年夏。「自信になった」
最近、彼女のバスケットボール人生において大きな出来事がいくつか続いた。
2017年夏、アメリカU16代表のトライアウトに申し込んだ。書類審査を通過し、米バスケットボール協会があるコロラドスプリングスで行われたトライアウトに参加。マッカーサーのような一般応募の選手のほかに、協会から招待された選手も35人いて、トライアウトが始まった時点で133選手が一堂に会した。
「コロラドスプリングスは標高が6000フィート(約1800m)で、息するのが難しい。だからみんな同じレベルで始まった。スキルがあっても息ができないとプレーできないから。本当に頑張れるかどうか。同じ年代のいろんなプレースタイルの人を見られて、いろんなことを考えました」とマッカーサーは振り返る。
トライアウトが進むにつれ、何度かカットされていき、133人が80人になり、64人になり、37人にまで絞られた。その中にマッカーサーはまだ残っていた。
しかし、その次の18人の中には名前がなかった。それでも、やれることをやり切ったという充実感を感じたという。
「もちろんダウンだった(落ち込んだ)けれど、そういう経験ができたことが嬉しかった。でも、むっちゃ入りたかった」と、笑顔で、それでも負けず嫌いの一面ものぞかせた。選ばれなかったけれど、一般応募からそこまで残れたことは自信になった。
ひとつのドアが閉じたら別のドアが開いた。新たに開いたのが日本代表へのドアだった。
日本代表のヘッドコーチ、トム・ホーバスは父とは昔からの友人で、今、住んでいる街も近く、家族ぐるみのつきあいがあった。日米両国籍を持つエリックの娘、マヤがバスケットボールをやっていると聞いたホーバスは、以前から興味を示していたのだった。アメリカ代表のトライアウトに落ちて少したった頃に、ホーバスが試合を見に来て、マヤはその直後の日本U16代表に招集された。
初めての国際大会は刺激的だった。「めっちゃ楽しかった」と、その話をしながら、顔を輝かせた。
家族から離れて海外に行ったことも、アジア、オセアニアの同年代のトッププレーヤーとの対戦も、日本代表のチームメイトたちとの交流も、すべてが新鮮だった。チームに合流してから大会までの期間が短かったため、日本独特のスピードやプレースタイルの違いに慣れるのに苦労したが、それを差し引いても、後から夢に出てくるぐらい楽しい日々だったという。
「高校じゃなくて、国の代表。相手も国の代表と戦ってチャンピオンシップを目指すのは、今までになかった経験だったから、むっちゃ楽しかった」
U16アジア選手権の決勝では、オーストラリアに決勝戦で1点差で敗れるという悔しい思いをした。それでもU17ワールドカップの出場権を勝ち取ったことで次につながった。
2018年7月にベラルーシで開催されたU17ワールドカップの代表にも選出され、フランスやスペインなど、ヨーロッパの強豪国とも対戦することができた。準々決勝でハンガリーに敗れ、順位決定戦で7位に終わった。世界の強さを感じながら、そんな強豪を相手に戦う楽しさを満喫した。
10月にはU18アジア選手権にも出場した。
「U16とはだいぶ違った。年齢が高くなると相手も強くなる。中国、オーストラリア、韓国、ニュージーランドもレベルアップしていた。もちろん日本もレベルアップしていたから、そういう戦いができたのがけっこうおもしろかったと思います」
ガード主体の日本代表で、インサイドプレーヤーの自分が特にオフェンス面でどうやってチームに貢献できるかをみつけるのは簡単ではなかったが、一方で、ディフェンスでは、ふだん日本国内でプレーしている選手では経験がない、サイズのある選手とのマッチアップに慣れているという長所がある。そこに自分の役割を見出すことができた。
「日本国内だと2メートルあるような選手はいないし、いてもごつくない。マヤはアメリカではそういう選手相手にずっとやってきているから慣れていて、チームを助けられる」
またも決勝で敗れ、準優勝に終わったことは悔しかったが、国際大会の魅力にさらに取りつかれていった。
ふだんとは違う環境を経験することで、自分がどんなプレーをして、どんな成長をすればいいのかが見えてくる。日本代表もそんな経験のひとつだった。
「この1年で成長できたのはオフェンスの自信。前は、自分はディフェンスとリバウンド専門のプレーヤーで、オフェンスは他の人に任せるという気持ちがあった。でも、この1年でオフェンスも前よりアグレッシブになってきた。シュートも練習して自信を持てるようになって。そこは成長したと思います」
2019年には、また新たなチャレンジが待っている。アイビーリーグのプリンストン大への進学が決まっているのだ。学問で知られた大学だが、バスケットボール面でも2017-18シーズンにアイビーリーグ・トーナメントで優勝してNCAAトーナメントに出場するなど、頻繁にポストシーズン・トーナメントに出ているチームだ。
「10月、大学を訪れたマッカーサーは、チームの練習を見学した。高校とは違う練習レベルの高さに圧倒されながらも、1年後に自分がそこにいる姿を想像してみた。
「ちょっと想像できました。1年後のマヤがそこにいて…」と笑顔を見せた。
先日、ルイビル大への進学を発表した今野紀花選手(聖和学園高)とは、U18代表でチームメイトだった。代表活動の間、大学選びの話をしたり、情報交換もしたりしたという。
「彼女はすごくいいプレーヤー。全力で戦っていくし、勝ちたい気持ちが強い。ルイビルとプリンストンは遠いので、(シーズン中に)会えるかどうかはわからないけれど、大学に入ってからも連絡を取り合いたいです」
父は、かつて日本鋼管、大和証券、ボッシュ、アイシンでプレーしていたエリック・マッカーサー。エリックも日本国籍を取り、日本代表としてアジア大会に出場したことがある。リバウンド力があり、笑顔に求心力がある選手だった。引退後はカリフォルニアに戻り、会社員として働いている。
マヤも、試合中にうまくいっているときも、そうでないときでも、笑顔でまわりを明るくする。ダナヒルズ高校のアン・ホネーヘッドコーチは、彼女には笑顔を見せ、ポジティブなエナジーでチームメイトを引っ張る力があると称賛する。
マヤは3人兄弟の末っ子。父が現役だったときに生まれているが、小さいときは、体育館は兄や姉と走り回る運動場のような場所で、父のプレー姿はまったく覚えていないという。
「(父の試合の映像は)ガレージの中のVHSテープにたくさんあって、見たいけれど、(VHSのプレーヤーがなくて)見られない」と言う。最近、母がインターネットで当時の試合を1試合だけみつけてきたので、家族で観戦したという。そこで発見したのは、「走り方が自分と似ている」ということだったという。
兄と姉も一時はバスケットボールをやっていたが、その後他競技に転向し、最後までバスケットボールをやっているのがマヤだ。
「子供のころから彼女が兄弟の中で一番シュートがうまかった。そこは僕に似ないでくれてよかった」と、父エリックは苦笑する。バスケットボールを教えたことはほとんどなかったというが、自分が得意としたリバウンドだけは別だった。流行りの片手でのリバウンドではなく、ボールをしっかりキープできて、着地のときに怪我をしにくい両手で取ることを教えこんだ。ふだんは優しい父も、それだけは厳しく教えこんだという。
「リバウンドを教えてもらった覚えはけっこうある」とマヤ。「けっこう怒られた。試合中、片手で取りたいし、そのほうが遠くても取れるんだけれど、両手で取らないと強くできないからってよく言われていた。今も、たまに言われる(笑)」
■ 転機が訪れた2017年夏。「自信になった」
最近、彼女のバスケットボール人生において大きな出来事がいくつか続いた。
2017年夏、アメリカU16代表のトライアウトに申し込んだ。書類審査を通過し、米バスケットボール協会があるコロラドスプリングスで行われたトライアウトに参加。マッカーサーのような一般応募の選手のほかに、協会から招待された選手も35人いて、トライアウトが始まった時点で133選手が一堂に会した。
「コロラドスプリングスは標高が6000フィート(約1800m)で、息するのが難しい。だからみんな同じレベルで始まった。スキルがあっても息ができないとプレーできないから。本当に頑張れるかどうか。同じ年代のいろんなプレースタイルの人を見られて、いろんなことを考えました」とマッカーサーは振り返る。
トライアウトが進むにつれ、何度かカットされていき、133人が80人になり、64人になり、37人にまで絞られた。その中にマッカーサーはまだ残っていた。
しかし、その次の18人の中には名前がなかった。それでも、やれることをやり切ったという充実感を感じたという。
「もちろんダウンだった(落ち込んだ)けれど、そういう経験ができたことが嬉しかった。でも、むっちゃ入りたかった」と、笑顔で、それでも負けず嫌いの一面ものぞかせた。選ばれなかったけれど、一般応募からそこまで残れたことは自信になった。
ひとつのドアが閉じたら別のドアが開いた。新たに開いたのが日本代表へのドアだった。
日本代表のヘッドコーチ、トム・ホーバスは父とは昔からの友人で、今、住んでいる街も近く、家族ぐるみのつきあいがあった。日米両国籍を持つエリックの娘、マヤがバスケットボールをやっていると聞いたホーバスは、以前から興味を示していたのだった。アメリカ代表のトライアウトに落ちて少したった頃に、ホーバスが試合を見に来て、マヤはその直後の日本U16代表に招集された。
初めての国際大会は刺激的だった。「めっちゃ楽しかった」と、その話をしながら、顔を輝かせた。
家族から離れて海外に行ったことも、アジア、オセアニアの同年代のトッププレーヤーとの対戦も、日本代表のチームメイトたちとの交流も、すべてが新鮮だった。チームに合流してから大会までの期間が短かったため、日本独特のスピードやプレースタイルの違いに慣れるのに苦労したが、それを差し引いても、後から夢に出てくるぐらい楽しい日々だったという。
「高校じゃなくて、国の代表。相手も国の代表と戦ってチャンピオンシップを目指すのは、今までになかった経験だったから、むっちゃ楽しかった」
U16アジア選手権の決勝では、オーストラリアに決勝戦で1点差で敗れるという悔しい思いをした。それでもU17ワールドカップの出場権を勝ち取ったことで次につながった。
2018年7月にベラルーシで開催されたU17ワールドカップの代表にも選出され、フランスやスペインなど、ヨーロッパの強豪国とも対戦することができた。準々決勝でハンガリーに敗れ、順位決定戦で7位に終わった。世界の強さを感じながら、そんな強豪を相手に戦う楽しさを満喫した。
10月にはU18アジア選手権にも出場した。
「U16とはだいぶ違った。年齢が高くなると相手も強くなる。中国、オーストラリア、韓国、ニュージーランドもレベルアップしていた。もちろん日本もレベルアップしていたから、そういう戦いができたのがけっこうおもしろかったと思います」
ガード主体の日本代表で、インサイドプレーヤーの自分が特にオフェンス面でどうやってチームに貢献できるかをみつけるのは簡単ではなかったが、一方で、ディフェンスでは、ふだん日本国内でプレーしている選手では経験がない、サイズのある選手とのマッチアップに慣れているという長所がある。そこに自分の役割を見出すことができた。
「日本国内だと2メートルあるような選手はいないし、いてもごつくない。マヤはアメリカではそういう選手相手にずっとやってきているから慣れていて、チームを助けられる」
またも決勝で敗れ、準優勝に終わったことは悔しかったが、国際大会の魅力にさらに取りつかれていった。
ふだんとは違う環境を経験することで、自分がどんなプレーをして、どんな成長をすればいいのかが見えてくる。日本代表もそんな経験のひとつだった。
「この1年で成長できたのはオフェンスの自信。前は、自分はディフェンスとリバウンド専門のプレーヤーで、オフェンスは他の人に任せるという気持ちがあった。でも、この1年でオフェンスも前よりアグレッシブになってきた。シュートも練習して自信を持てるようになって。そこは成長したと思います」
2019年には、また新たなチャレンジが待っている。アイビーリーグのプリンストン大への進学が決まっているのだ。学問で知られた大学だが、バスケットボール面でも2017-18シーズンにアイビーリーグ・トーナメントで優勝してNCAAトーナメントに出場するなど、頻繁にポストシーズン・トーナメントに出ているチームだ。
「10月、大学を訪れたマッカーサーは、チームの練習を見学した。高校とは違う練習レベルの高さに圧倒されながらも、1年後に自分がそこにいる姿を想像してみた。
「ちょっと想像できました。1年後のマヤがそこにいて…」と笑顔を見せた。
先日、ルイビル大への進学を発表した今野紀花選手(聖和学園高)とは、U18代表でチームメイトだった。代表活動の間、大学選びの話をしたり、情報交換もしたりしたという。
「彼女はすごくいいプレーヤー。全力で戦っていくし、勝ちたい気持ちが強い。ルイビルとプリンストンは遠いので、(シーズン中に)会えるかどうかはわからないけれど、大学に入ってからも連絡を取り合いたいです」